小説

最強アルファと発情しない花嫁

著者
中原一也
イラスト
奈良千春
発売日
2020年1月20日
価格
700円(税抜)
巣作りして俺を待ってたのか?

人生で一度も発情期がきていないオメガの五色。しかし、Sアルファの軍人・黒瀬と出会い初めての発情がおきる。じつは五色は軍の探す『Sオメガ』だった。そのことを知った黒瀬はなぜか軍に報告せず五色を匿う。一緒に過ごすうちに互いに惹かれていく二人だが、五色のことが軍にバレて――!?

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登場人物紹介

五色春(ごしきあずま)

第二の性がオメガなのにもかかわらず、まだ人生で一度も発情経験がない。このまま一生を終えると思っていたが……。

黒瀬玲二(くろせれいじ)

オメガの発情を自在に操れる特別なSアルファ。軍に属し『Sオメガ』を探すが……。

試し読み



 世の中は、アルファによって動かされている。
 それは常識であり、変えがたい事実でもあった。そのことに対して不満を持つ者はいるだろうが、生を受けた時から世の中の細部にまで浸透していれば、抵抗しようとはしない。
誰もが受け入れ、何喰わぬ顔で生活をしている。その下に何が隠されていようと、平和というかりそめの蓋で覆ってしまえば自然と気にならなくなるものだ。そして、かりそめはいつしか現実へと姿を変える。
 五色春もそんな現実に甘んじている一人だった。
 幅の狭い二重の目。瞳の色が薄く、瞳孔と虹彩の違いがはっきりとわかる。大きくはないが、猫の目のように目尻がキュッと上がっていて何やら挑発的だ。『氷の眼差』とも形容されるそれを溶かす者は、いまだに現れていない。
 スッとした鼻筋は、他人を気軽に近づかせない視線によく似合っていた。唇は健康的に色づいているが、多くを語らない。口数が少ないのは子供の頃からだ。ひとたび口を開くと生意気な言葉が飛び出すことを、本人も十分承知している。そのつもりがなくとも、相手の神経を逆撫する物言いをしてしまうこともあった。
 癖というのは、気をつけていても出てしまうものだ。自分の意志が届かぬところで、いつも己の出番を待っている。
 また、全体的に細く、特に首周りは成人した男性にしては頼りなかった。耳元や白い首筋にかかる髪にはほとんど癖がなく、手を伸ばせば消えてしまいそうな儚さすらある。
 今年で二十七歳になったが、見た目の年齢は五歳ほど若い。その理由は、顔の作りや線の細さにあるが、性的に成熟していないことも少なからず影響しているだろう。
 五色は、発情経験のないオメガだった。
 第二の性を知ったのは六歳の頃だ。国民全員に義務づけられている血液検査で、アルファとオメガ、そしてベータのどれに属するか調査される。それは階級とも密接に関係しており、本人の努力ではどうしようもない。
 人口の約二割しかいないアルファは、IQや運動能力、気質、そのほかすべてに於いて優れた能力を持っている。いわゆる生まれながらのエリートだ。政治家や医者、弁護士、研究者などに多い。
 次に人口の七割ほどいるベータだが、彼らに特筆すべき点はない。第二の性によるメリット、デメリットがない中間層と言っていいだろう。
 そして、最も希少とされるオメガだが、『発情 』という大きな肉体的ハンデを抱えている。彼らの後ろには、希少性とは裏腹に社会的地位が低くならざるを得ない事情が、取り憑いた魔物さながらに横たわっている。
 一〜三ヶ月に一度訪れるオメガの発情状態は、番のいないフリーのアルファを所構わずフェロモンで誘惑し、生殖行動に駆か り立てる厄介なものだ。それは理性ではどうしようもなく、アルファの暴力性を引き出してしまうことすらある。オメガ本人も激しい欲情に襲われるため、勉強、仕事、あらゆることに不利に働く。そのため薬で発情を抑制し、社会生活を送っているのが現状だ。
 検査の結果、五色が手にした認識票にはオメガと記されてあった。
 だが、通常十六歳前後から発情が始まるというのに五色にはその兆候が現れなかった。成熟が遅いだけだろうと言われていたが、二十歳を過ぎても変化はなかった。
 発情しないオメガというのは、例外的に実在する。発情しないまま一生を終える者もいて、二十五になった時、自分はその類だと確信した。一応はオメガだがベータと同じようなもので、むしろ五色にはありがたい。目立たず生きることを何より望んでいる。その時、カラン、とドアが開き、客が店内に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 五色は手を止め、顔を上げた。二十代前半の若い男性だ。馴染みの顔で、数週間に一度はここに来る。
「これお願いします」
「二週間分ですね。そちらに座ってお待ちください」
 裏の診療所の医者が出した処方箋を受け取った五色は、内容を確認した。そして、後ろの棚からいくつか瓶を持ってきてウォールナット製のカウンターに置く。棚に所狭しと並べられている瓶に入っているのは、植物を乾燥させたものだった。それを用いてオメガの発情をコントロールする漢方薬を調合するのが、五色の仕事だ。この仕事に就いて五年が経つ。
 調剤薬局だが一見ショットバーのような雰囲気で、カウンターも棚も床材もすべて天然木だった。奥の部屋には壁沿いに天井まで届く本棚が設置してあり、蔵書がつめ込まれていた。まるで図書館だ。そこには世界中から取り寄せた医学の本や薬草などの専門書が並んでいる。
 知識の集積とも言える木と紙の匂いが漂うこの空間が、五色は気に入っていた。
「五色さん、Sアルファって知ってます?」
「聞いたことはあります。アルファの滅茶苦茶すごい人ですよね」
 客は笑った。他に言い方があったのかもしれない。
「突然変異で生まれるらしいけど、自分の意志でオメガを発情させられるんですって」
「へぇ、そうなんだ」
「しかも、オメガの発情に対して自制が利くそうですよ」
「すごいですね」
「そんな人に探されたら、どうしようもないですよね。だから軍のオメガ捜索チームを率いてるんだろうな」
 客が浮かない顔をしていることに気づいて、気のない返事しかしない自分になぜこの話を続けるのかわかった。
「もしかして、許嫁から逃げたいんですか?」
「あ、いえ。そうじゃないけど……」
 曖昧な笑みから、自由に恋愛ができない立場の苦悩が窺うかがえる。
 ベータに自由恋愛が許されているのに対し、アルファやオメガの婚姻に関しては軍が管理している。発情期のあるオメガが性の対象とされがちであるため、オメガを護っているというのがもっともらしい名目だ。だが、その裏にアルファの保存──男でも妊娠が可能なオメガに、優秀なアルファを生ませる目的があるのは否定できないだろう。
「抑制剤を使ってても、Sアルファの意図的な誘発には効かないんです。ケミカル系の強い薬を打てば瞬時に抑えられるみたいですけど、規制されてる薬物だから一般人は入手できないって」
「そっか、漢方でも無理そうですね」
 アルファとの婚姻を拒み、逃げたオメガの話は何度か聞いたことがある。ベータに紛れてひっそりと生きていたのに、無理矢理見つけ出されて連れ戻されたなど気分のいいものではない。
「お待たせしました。二週間分ですね。何かありましたら、ご連絡を」
「はい。じゃあまた」
 客が帰ると、郵送で届ける薬の調合に再び取りかかった。閉店時間まで数人の客が訪れたが、今日は比較的落ち着いている。手持ち無沙汰になると、五色は店の掃除を始めた。床を掃き、カウンターを拭き上げる。定期的にワックスを塗るよう言われているため、使い捨てのモップで端のほうから床板に沿って少しずつ磨みがき上げていった。
 ワックスをかけるのは、一度に五列分と決めている。椅子やソファーなどがあっても、それらをずらして必ず五枚の幅を塗っていくのだ。そうやって何度も重ね塗りされた床は深みのある飴色になり、落ち着いた光沢を放つ。それはただの床板ではなく、静かに呼吸する生き物のようだった。美しいと思う。歩くと靴音が微かすかにコツコツと鳴るのも好きだ。
 古いものに魅力を感じるのは、なぜだろうか。
 閉店時間になり片づけを終えると、五色は庭を通って裏の診療所に向かった。こちらも薬局と同じような雰囲気で、落ち着く。自宅兼診療所になっており、猫が一匹飼われていた。
「武田先生、店閉めました」
「ああ、ご苦労だったな。どうだ? チェスでもやらんか」
「いいですよ」
 武田は完全な白髪で年齢は七十を越えたくらいだが、躰つきはがっしりしていて老人と言うにはいささか躊躇してしまう。背筋もピンと伸びており、格闘家といった雰囲気だ。顔には深いシワが刻まれているが、それはむしろ武田にただならぬ者という印象を与える。
 手を使わなくても、気の力だけで相手を倒す技くらい持っていそうだ。
「そういえば先生、軍から届いた封書は開けました? また捨てたんじゃないでしょうね」
 答えが返ってこないところを見ると、五色の言ったとおりらしい。武田が首を縦に振らないせいで、毎月のように同じやり取りをしている。
「出世のチャンスなのにもったいない。アルファ並みのIQも医者としてのスキルもあるんだから、活用すればいいのに」
「わしのガラじゃないんだよ。軍はオメガの発情に影響されないベータの、ちょっと優秀な医者が欲しいだけだよ。面倒はゴメンだ」
 武田は奥の部屋に行き、葉巻を手に戻ってきた。葉巻は一本吸うのに四十分ほどかかる。つまり、そのくらいの時間はチェスにつき合わなければならないということだ。
 リビングにはアンティークの丸テーブルと椅子があり、五色はそこに座った。
 天板にチェス板の模様がついていて、抽斗には駒が収納できる。チェスをするために作られた職人の技だ。象牙の駒は手によく馴染む。
「最近、軍の動きが活発のようだな。Sアルファを見かけた」
ライターの火で葉巻を炙ってゆっくりと火をつける武田を前に、駒を並べていく。五色の仕事だ。準備が整うと、白と黒の駒を右手と左手に一つずつ握って「選んでください」と武田の前に差し出した。
「右」
 手を開く。黒だ。
「俺が先手ですね」
 自分の駒の中からポーンを選び、左斜め前へ移動させた。
「逃げたオメガを捜索する特殊チームを軍が頻繁に派遣してるようだ」
「ええ。今日もお客さんとその話をしました」
「お前が客と雑談? めずらしいな」武田もポーンを動かす。さらに五色。
「気の毒ですね。結婚相手くらい自分で決めたっていいのに」
 だんごが足に擦り寄ってきた。食べ物のだんごではない。猫だ。撫でると『膝に乗せろ』と前脚で太股の辺りを搔く。片方だけあぐらを搔く格好になると、だんごは飛び乗ってきて脚で作った窪くぼみにぴったりと嵌まった。こうなると身動きが取れない。
「親は優秀な孫が欲しいんだよ。アルファ家系とオメガ家系では身分が違う。人は順位や優劣をつけずにはいられない生き物だ」
「そんなもんですかね」
「まぁ、わからんでもない。アルファってのは見た目がいいのも多いしな。奴もかなりの男前だった」
 武田がビショップを出してきた。五色はルーク。
「奴が歩くたびに女どもが子宮を疼かせてたよ。ただそこにいるだけで、場の空気を自分のものにする奴ってのはいるもんだ。生まれながらの資質ってやつだな。一目で奴が軍を率いてるとわかった」
 武田がべた褒めするなんて、めずらしい。特にアルファについて語る時は、毛嫌いと言っていいほど厳しい言葉が飛び出す。
個人に対する憎しみというより、特権階級に対する怒りに近いが……。
「だがな、あれは『魔』だ」
五色は手を止めた。視線を上げると、武田がゆるりと葉巻の煙を口から漂わせる。それはまるで蜘蛛が獲物を捕らえるために糸を吐き出しているようで、心の奥にある好奇心を搦からめ捕られるようだった。普段はあまり他人に興味を持たないのに、自分でも驚く言葉が口から飛び出す。
「『魔』ってどういう意味です?」
「奴は闇を滴らせている。うっかり近づくと、巻き込まれるぞ。まるで深淵にいるような目をしていた。いや、深淵そのものだな」
 またゆるりと紫煙が漂ってきた。
 メロウな香りが、落ち着いた空間の時間をさらにゆったりとしたものにする。
「あれに魅入られると危険だ。引きずり込まれるぞ。特別な存在ってのは、孤独なもんだ。何か抱えてるのかもしれん」
 何かとはなんだろう。闇を滴らせているとは、どういう感じなのだろう。
 武田に『深淵そのもの』と言わせる男は、どんな人物なのだろう。
 一度興味を駆り立てられると、それは湧き水のように心の奥から次々と出てきて、水面をゆらゆらと揺らす。
 アルファの能力をさらに上回る特別なアルファ。オメガの発情を自分の意志で促せられ、オメガの発情に対しても自制が利く。
 スーパーマンだな。
 そう思うが、『アルファの滅茶苦茶すごい人』と言って客に笑われたことを思い出して口に出すのをやめた

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